3月13日(日)ホノルル フェスティバル最終日の夜、今年もワイキキの夜空に盛大な華が咲き誇りました。

感動のフィナーレを飾ったのは、そう『長岡花火』でした。
「慰霊」「復興」「世界平和」という想いが込められたこの花火を、今年もたくさんの人が待ち焦がれていました。

花火が打ち上がるのは、ワイキキ沖の海の上。

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ホノルル フェスティバル全参加団体の最後の雄姿となるグランド・パレードが終了すると、ワイキキ・ビーチに続々と人々が流れ込みました。迫力の花火を出来るだけ間近で楽しむべく、波打ち際ギリギリまで、ぎっしり人が詰め寄っていました。

強風が続いていた3月のワイキキでしたが、
まるでハワイそのものが「長岡花火」を待ち望んでいたかのように、この日は不思議と風がおさまったのでした。

日本軍から真珠湾攻撃を受けたハワイ州ホノルル市と、
終戦直前に空襲を受け、また最後までアメリカとの開戦に反対していたものの、
真珠湾攻撃を指揮することとなった連合艦隊司令長官 山本五十六氏の出身地である新潟県長岡市。

過去に受けた戦争の傷を絆に変え、ともに後世に平和を訴えていくため、両市は姉妹都市としての関係を
2012年3月の第18回ホノルル フェスティバルの機会に樹立し、その後、活発な交流を進めています。
その友好関係の象徴(シンボル)として実現したのが、ホノルル フェスティバルでの「長岡花火」というわけです。

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20時半、夜空には、日米の戦没者の慰霊、そして”平和への祈り”を込めた3発の献花、白一色の花火が打ち上がりました。

この瞬間、ワイキキにいる誰もがこの3発の花火のみを見上げたことでしょう。
ホノルル フェスティバル最後のイベントの幕開けです。

今年は、ライブ花火専用音楽アプリケーション”Grucci”が大活躍。打ち上がる花火に合わせて音楽が流れます。
花火が人々に届ける感動を、さらに後押しするものとなりました。

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暗闇には、次々と色鮮やかな花が咲き乱れました。

昨年、2015年は終戦70周年の節目の年でした。
2015年8月14日・15日には、パールハーバーにて行われた長岡市とホノルル市が共同で開催する慰霊と平和の式典、また併せて、未来志向の青少年の交流も踏まえて、フィナーレで長岡花火が打ち上げられたことは、まだ記憶に新しい。

ホノルルの人々の理解、並びに米国海軍の協力のもと、無事式典での花火を成功させることが出来た感謝も込めて、「America the Beautiful」の音楽に合わせて、スターマイン(速射連発花火)が夜空に響きました。

海風に乗ってかすかに漂う火薬の匂いもまた、このホノルル フェスティバル時期特有のハワイの風情を感じさせます。

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その後は、『フェニックス』と共に平原綾香さんの曲「Jupiter」、大玉花火の打ち上げには「The Bridge of Friendship」が流れ、人々の感覚は、より一層目の前に開花する満開の花火に惹き込まれていくのでした。

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グランド・フィナーレは、「天地人」のテーマに相応しく盛大に発射。
まさにクライマックス!
辺り一面が一斉に明るくなるほどのダイナミックな花火が上げられました。

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花火を見上げる人々からは、大きな歓声が上がり、また感嘆の声が漏れたのでした。

今回、ホノルルフェスティバルで打ち上げられた長岡花火には、「世界平和」という想いが込められています。
そのメッセージは、感動と共に一人ひとりの心にきっと届いたことでしょう。

『平和である』、『平和になる』ということはどういうことなのか。
人々が強く思い描くことは、将来きっと形となって現れます。

楽しい体験を共にし、共有・共感をして、出来る限り同様な平和へのイメージが持つことが出来れば、その実現も早くなるかもしれません。

ホノルル フェスティバルを通して、皆さんにその体験を提供していけることを胸に、また来年も活動を進めて行きたいと思います。

最後に長岡市とホノルル市をはじめ、花火を上げるために理解と協力を惜しまず賛同してくださったスポンサーの皆様、そして通年とおして関わってくださった関係者全ての皆様へ感謝を申し上げます。