第26回 開催日は2020年 3月6日から8日です!

アーカイブ 2016年(第22回)

peace22 スペシャル

「平和」を語る上で見逃せないStoryがココに!! ミュージカル”Peace On Your Wings” -ピース・オン・ユア・ウィングス-

2016年(第22回)

今年も「ホノルル フェスティバル」の季節がやってきました。 2016年3月11日(金)~13日(日)の3日間に渡り、ワイキキ・アラモアナを中心に大々的に開催されます。 ワイキキの目抜き通りとなるカラカウア通りの街灯には、 既に数多くの「ホノルル フェスティバル」フラッグが掲げられ、 ハワイの陽光のもと爽やかな風に吹かれ、気持ち良くなびいています。 今年、第22回「ホノルル フェスティバル」のサブテーマは、 “Cultural Harmony, Journey to Peace”。 この”Peace-平和-“を語る上で、誰もが知っておかなければならない感動のストーリーがあります。 それが、”Peace On Your Wings” -ピース・オン・ユア・ウィングス-。 このノンフィクションの物語をご存じでしょうか。   ”Peace On Your Wings” -ピース・オン・ユア・ウィングス- 広島の平和記念公園にある「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子。 被爆し白血病を発症、折り鶴に生きる希望を託しながら12才でこの世を去りました。 ピース・オン・ユア・ウィングス(直訳:平和はあなたの翼の上に)は、 この禎子の人生を題材にしています。 原爆の悲惨さ、平和の尊さを叫びつづけた禎子の思いを引き継ぎ、 ハワイの子どもたちが演じる話題のミュージカルです。 今回、第22回ホノルル フェスティバルでのスペシャル公演が実現しました。 ・3月12日(土)11:00-12:00、16:00-17:00 ・3月13日(日)11:00-12:00 期間中、全3回、ハワイコンベンションセンター3F #311で行われます。   ミュージカル練習風景:Ohana Arts-オハナ・アーツ- ここは、ハワイの本願寺ミッションスクール。 ワイキキから人気タウンのカイルア方面へ山越えで向かうパリ・ハイウェイ沿いに位置する学校です。 話題のミュージカル”Peace On Your Wings” -ピース・オン・ユア・ウィングス- を演じるアカデミー「Ohana Arts-オハナ・アーツ-」がこちらで練習をしています。 「Ohana Arts-オハナ・アーツ-」は、Executive & Co-Artistic DirectorのJenny Tairaさんと 舞台監督のCari Tairaさん姉妹のもと、約25名(7歳~16歳)の生徒達で構成されています。 この日の練習は、駅伝のシーン。 サンセット間際の校庭で練習風景を見せてくれました。 彼女が、主人公「佐々木禎子」役のShana Yasunaga(ヤスナガ シェイナ)さん、14歳。 ハワイの空に響き渡るミュージックと子供たちの無邪気な歌声、屈託のない笑顔。 時に力強く躍動感に溢れ、時にやさしく穏やかに。子供達らしい一挙一動が展開されます。 その風景は、そう、あまりに自然で楽しそうで。 演じているのか遊んでいるのかわからなくなるくらい、あまりに自然で楽しそうで。 佐々木貞子さんの楽しかった日常を、まるでリアルタイムで追っかけているような。 カメラのファインダー越しに不思議な錯覚を覚えるくらい惹き込まれます。 友達がいる、仲間がいる。 自分は生きている、という事を感じざるを得ない、いや、本来感じるまでもない 当たり前の喜びを目の当たりにし、噛み締める機会を与えられたような感覚。 あなたなら何を感じ取るでしょうか。   インタビュー (中央左:Jenny、中央右:Cari) ●いつ佐々木貞子さんの存在を知りましたか? Jenny:小学生の時ストーリーを読んだことがあって知っていたの。 また、以前広島に旅行し、広島平和記念資料館にも行った事があり、思い入れもあったわ。 ●この作品を選んだきっかけは? Jenny:若者のストーリーを選びたかった、特にアジアのストーリー。原爆という重いテーマだけど、 友情の大切さや希望を持って生きるというポジティブなストーリーに惹かれたのが一番の理由ね。 ●作品・舞台を通じて伝えたいことは? Jenny:もちろん平和のメッセージ、人生は一期一会であること。 それは仏教の教えにも通じていると思うの。 ●演じていて感じることは?困難なことは? Shana:貞子さんはパワフルでポジティブな考え方を持ち、とても興味深い人物。 そのエネルギーを感じて演じているの。この役を演じられることに今回とても感謝しているわ。 貞子さんの役になりきることが自分にとっては一番難しいこと。 練習場所にきたら、自分の生活を忘れて、ポジティブでハッピーマインドを持った貞子さんになりきるよう努力しているのよ。 練習では役に入り込みとても無邪気に振る舞っていたShanaさんは、 インタビューではとても大人びた印象、早くも未来の大女優としての風格も漂っています。 (練習後:チームワーク抜群のOhana Arts-オハナ・アーツ-メンバー) メンバー全てが、平和への祈りを込めて明るくポジティブに全力で演じます!   お見逃しなく! さあ、今年の「ホノルルフェスティバル」サブテーマとなる”Peace-平和-“、 そして“生きることの大切さ”を最も象徴的に表した今年の目玉とも言える ミュージカルイベント”Peace On Your Wings” -ピース・オン・ユア・ウィングス-は、 ・3月12日(土)11:00-12:00、16:00-17:00 ・3月13日(日)11:00-12:00 ハワイコンベンションセンター3F #311で行われます。 第22回「ホノルルフェスティバル」でのスペシャル公演が実現し、ミュージカルの各シーンよりセレクトした特別内容となります。 […]

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シンポジウム「日系移民の歴史から平和を考える-プランテーションから真珠湾まで」

2016年(第22回)

2016年3月12日(土)14時~16時、2時間にわたりハワイ・コンベンション・センター3F #301にて、シンポジウムが行われました。 今年は、「日系移民の歴史から平和を考える-プランテーショから真珠湾まで」と題し、 “日系移民と平和”をテーマとしています。 会場は、例年にも増して、スタート前の早い時間から観覧席が一気に埋まりました。皆、注目のテーマのようです。 日米協会会長で、前ホノルル フェスティバルスポークスウーマンでもあるレニー・ヤジマ氏の司会進行のもと、シンポジウムは今年も2部構成で行われました。 【セッションⅠ】は、ハワイ大学教授のデニス マサアキ オガワ氏による“日系人の歴史”についての基調講演、そして【セッションⅡ】では、『持続的平和』を巡ってのパネルディスカッションです。   【セッションⅠ】-日系人の歴史について- 日本からハワイへの官約移民は、1885年(明治18年)に始まりました。プランテーションで生計を立て苦労が多かった移民達ですが、第二次世界大戦がはじまり、1941年の真珠湾攻撃では多くの日系人が日系人強制収容所へ送られました。 このシンポジウムでは、これまでの歴史を振り返り、平和への道を考えるのです。 ハワイ大学教授のデニス マサアキ オガワ氏です。 ハワイの日系1世 “後藤濶(ごとう かつ)”氏の話をゆっくりと語り始めました。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 後藤濶氏は、日系移民の中でも特に早い時期にハワイに来た人物です。 サトウキビのプランテーションで働くためにハワイに来た方々の一人でした。 アメリカ・ハワイの歴史と共に、後藤濶氏が生きた当時の時代背景をお伝えしておきましょう。 アメリカ早期の歴史は北東の地、フィラデルフィアやボストンから始まりました。人口の推移というのは徐々に広まっていくもの、ゆっくり西部に広がっていったと思われがちですが、それは違います。 「金」が発掘されたのです。 西へ西へと、急激な勢いでどんどん人々は金を堀に行ったのです。 そして、ハワイもこの流れに乗ることになります。 当時アメリカでは南北戦争がありました。 その時、南が戦地になっていたため砂糖が不足していました。もちろん、西海岸に辿り着いた人々は、ハワイのサトウキビにも目を付けます。 サトウキビを栽培するにはプランテーションが必要ですし、土地も必要です。 1850年頃には、人々はハワイの土地を取得するということに非常に興味を持つようになりました。 ですが、プランテーションを運営していくには労働力が必要です。 それは、ただの労働力ではなく、低賃金で働いてくれる労働者です。 当時、ハワイの振興というのは衰退の一途を辿っていました。 そのため、ハワイのプランテーション経営者たちは、外から労働者を呼び込む必要があり、世界各地から約40万人もの労働者を集めてきたわけです。 その中で、なんと15万人を締めたのが日本人でした。 フィリピン12万、中国5万人、韓国も多くはないが8,000人来ました。 日本人は3年契約という条件でハワイに来ていました。その労働状況はとても過酷なもので、賃金は劣悪、プランテーションで儲けられる人たちは本当にごくわずか、その他は生活もままならないという状況が続きました。 当時のハワイの内訳は、白人が7%、残りの93%が白人以外でした。 巨万の富と貧困、という大きな格差が存在したようです。 そこには、また、経済的な格差だけでなく、人種的な差別もあったと言います。 7%の白人はお金持ちというだけでなく、権力を持ちハワイの全てを牛耳っていました。 政府、物流、経済、そして神をもコントロールしていたのです。 彼らは、頭も良く、人術にも長けていました。 労働者をうまく使わなければ、ちゃんと働いてもらえません。 プランテーションのオーナーでもある白人はある戦略を使いました。 人種毎に管理し、居住地を分け、団結して歯向かって来ないようにしたのです。 そして、賃金に格差をつけました。 中国人は日本人より50¢多くもらう。 日本人はフィリピン人より50¢多くもらう。 日本人は中国人より少ない不満はあるものの、フィリピン人よりは多い。 その優越心理を利用したのです。 後藤濶氏はまさに、ハワイのこういった状況で生活していたのでした。 彼が第一陣の船で到着したのは、ハワイ島のハマクアという地域、当時23歳でした。 3年間の契約任期を終えた頃、多くの日本人は帰国したが、彼は残ることにしました。 そして、商店を開きました。 後藤濶氏はとても勤勉に働きました。そして、お店も成功していました。 彼は、人種に関わらず公平な価格で商品を販売し、お客を信用しツケで買うことも許していたからです。また、彼はハワイにずっと暮らすつもりだったので、非常にまじめに英語を勉強し、とても上手な英語を話すようになっていました。周りの労働者たちは、英語が話せませんでした。ですので、何か困ったことがあると必ず彼のもとを訪れ、とても頼りにしていました。 しかし、他の商店は、プランテーションオーナーが経営していたため、商売敵の彼は嫌われ、憎まれていました。“出る杭は打たれる”。プランテーションオーナーはお前を殺してやると脅します。しかし、彼はその後も他の労働者たちを支え続けました。 1889年10月29日。 ハワイにきてから4年が過ぎた頃のある朝、後藤濶氏は、電柱に首をつられた状態で発見されたのでした。そこは、ホノカアの街。リンチでした。 ホノカアの街の近く、ハマクアの浄土院の墓地に亡骸は埋葬されました。 後藤濶氏にはフミコさんという姪が居ました。彼が亡くなった時、彼女は日本に戻っていました。彼女が再びハワイの地に足を踏みいれた時、自分の叔父がどのような死を遂げたのかを知ることが出来ました。彼女は叔父の死を聞いた時、怒ることはなかったそうです。 彼女は、ホノカアの墓地を訪れました。お墓は朽ち果て、見る影もない状態でした。 そして、お墓を立て直す決心をし、御影石で綺麗な墓を作りました。 さらに、怒りに燃える代わりに、叔父の人生を讃え、物語を伝えて行こう、皆が平和な社会を作れるようにしよう、とエネルギーを注いでいきました。 その後、彼女は、日本で日米交流基金を作りました。そこで奨学金を出して、若い者たちがハワイに来て平和を学ぶことが出来るように、そして日本の文化ももっと理解し日本との緊密な関係を作るにはどうしたら良いのかを学べるようにして行きました。 彼女は後藤濶の死をもっと意味のあるもの、将来につながるものにしていったのです。 「過去のことを語り継ぎ、偉業を讃え、将来に貢献できるように」という方向に、さらに言うなれば、この悲劇を基に、相互親善が行える方向に舵を取ったのでした。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ そして、デニス マサアキ オガワ氏は、以下のように彼の物語を締めくくりました。 「現在、後藤濶氏は亡くなり、姪のフミコさんも亡くなりました。 けれども、ホノカアには彼の記念碑が建っています。もしハワイ島に行ったらホノカアの記念碑を訪れてみてください。とてもきれいなので見逃すことはありません。屋根には400枚の綺麗なタイルがひかれています。2本の木造の柱に支えられています。記念碑には、文字が日英両語で書かれています。2本の柱ですが、一本はハワイのオヒアの木の柱、もう一本は日本からのヒノキの柱です。そして、その下の礎(いしずえ)は、ワイピオ渓谷から取り寄せた石になります。もう一つの壁はハワイ島の花崗岩が置かれています。この記念碑そのものは、ハワイと日本の強い絆を示しています。今回のホノルル フェスティバルのテーマ、”平和と調和を築く”と全く同じことだと思います。」 『今のお話を聞いて、新しいことを知った、勉強になったという方は是非挙手を』と司会から促すと、会場は、たくさんの挙手と大きな拍手で包まれました。 セッションⅠの終わりには、“ハワイ日系人強制収容所の知られざる歴史”について、ハワイに存在したホノウリウリ強制収容所の様子が動画で紹介され、過去の悲劇を認識することとなりました。ホノウリウリ跡は、約1年前にオバマ大統領により国定史跡として認められています。   【セッションⅡ】持続的平和を考える – 日系人移民の物語から 続いて、【セッションⅠ】の後藤濶氏の物語を踏まえ、壇上に控えていた ハワイプランテーションビレッジ ドーセントのケネス・カネシゲ氏、 元ハワイ州知事のジョージ・アリヨシ氏、 アロハ豆腐社長ポール・ウエハラ氏、 そして、モデレータを務める日本文化センター専務理事キャロル・ハヤシノ氏 がそれぞれの意見を述べました。 1世、2世の方々の働き、そして犠牲が、今の私たちの生活にどれだけ役に立つものだったのかと染みじみと感じさせられると感想を述べると共に、彼らの口から出た言葉で、未来の平和に繋ぐ共通のキーワードがありました。 それは、「価値観」。 キャロル・ハヤシノ氏は、 受け継いできた価値観の文化的なものとして、「おかげさまで」「我慢」「がんばれ」「しかたがない」といったワードを上げ、『こう言った考え方は、歴史の荒波をくぐり抜けてきた日系人の支えとなってきた』と述べ、 ジョージ・アリヨシ氏は、 ハワイにはとても重要な価値観がある。それは、「恥」という価値観。どういうことかというと、自分の親しい方々、家族や大事な人々に恥をかかせない。迷惑をかけない。それを小さなころから聞かされていたようで、ハワイで育ち、このような価値観を身に付けたのだそう。 『この価値観と共に、皆様の住むそれぞれの場所で皆さんが出来ることをやってもらいたい。それぞれが出来ることやるべきことをやれば、日本やアメリカ、その他の国を繋ぐより良い未来に繋がっていく。』 と語り、自らが歩んできた個人的な背景を基に、未来へのヒントを与えてくださいました。 ポール・ウエハラ氏の言うハワイの価値観は、「共に協力すること」、「一生懸命働くこと」、「お互いの信頼関係」。それは、主に日系の会社、家族に共通してみられ、口で言うよりも態度で示すもの、と親たちから伝えられてきたものでもあります。 『教わってきた価値観というものが、私たちの家族だけでなく、アロハ豆腐の中にも浸透している。そして、今や社風となったこの文化をこれから次の世代にどう渡していくか、どう受けついでいくかが課題』と語りました。 また、ケネス・カネシゲ氏は、セッションⅠの講演中にあったプランテーションでの労働環境を例にあげて価値観を説きました。 『人種を管理する側からのメッセージもあった。 みんなで交わって仲良くしなさいとうよりも、元々の技術を大事にしなさい。自分たちの価値観を崩さず後世に伝えていきなさい。というような奨励するやり方だったかと思います。 結果的に考えると、日本人であること、日本人の価値観を非常に強く打ち出していったこととなります。例えば真珠湾の攻撃があった時期には、日本の仏教のお寺がハワイには150あった。日本語学校も180あったと言われています。非常に日本的文化、そして価値観というものが奨励されていたわけです。申し上げたいのは、ハワイというものは多文化が共存する文化になった。それを享受する、楽しむ文化である。それぞれが尊重し、共存する文化、それが、ハワイがハワイたる所以。』 最後に、観覧席で話を聞いていたハワイ日本総領事三澤康氏より、2点質問が投げかけられました。 ➀ハワイ、また、アメリカ本土から来る若い方々が、いかにこの日系移民のレガシーについてご存じであるか? ➁もし日本から来る人々が、このレガシーを学びたいということであれば、どうすれば知ることが出来るのか、どのような場があるのか是非教えて欲しい。 ハワイ大学教授のデニス マサアキ オガワ氏の回答としては、 […]

education37 教育・交流プログラム

エデュケーショナル・スクール・ツアー

2016年(第22回)

第22回ホノルル フェスティバル初日を迎えた、2016年3月11日(金)、 子供達の教育を目的とした「エデュケーショナル・スクール・ツアー」がハワイ・コンベンション・センターで行われました。 このツアーは、ホノルル フェスティバルの舞台裏を見学する、ローカルの学生を対象としたもので、毎年、多くの生徒達が異文化と触れ合う素晴らしい機会となっています。 ホノルル フェスティバル財団は、フェスティバルの開催だけでなく、この教育プログラム(エデュケーショナル・スクール・ツアー)を通して、ハワイのコミュニティーと子供達に学習できる場を提供しているのです。 今年のホノルル フェスティバル・サブテーマは、“文化交流、平和への道”。 「エデュケーショナル・スクール・ツアー」は、次世代を担う若者のために、このテーマをまさに具現化したものと言えるでしょう。 9:00amを回る頃、ハワイ・コンベンション・センターには続々とローカル学生が集まってきました。 会場入り口には、ホノルル フェスティバル・アートコンテスト作品が並び、彼らを迎え入れていました。 今年は、オアフ島内の幼稚園~高校生まで13校の生徒達約830名が集まり、また世界各地からは20を超えるアーティスト・パフォーマンス団体が、それぞれの文化・伝統を伝えるべく参加しました。 生徒達は、フェスティバルスタッフや黄色のTシャツを着たボランティアのガイドのもと、少数グループに分かれ、会場内を廻りました。 -日本の文化- ハワイでは日系アメリカ人が多いこともあり、中でも日本文化にたいへん興味を持つ子供たちがたくさんいます。和太鼓を体験したり、書道に挑戦するなど、過去のエデュケーショナル・スクール・ツアーを振り返っても、日本伝統文化は大人気です。 そして、今年の教育プログラム参加団体の中でも、存在感を存分に発揮していたのが、 東京都桜丘中学・高等学校の生徒達です。10組に分かれたブースで、様々な日本の伝統文化を彼らの目線から伝えました。 英語を使って一生懸命説明しながら、コミュニケーションを図っていました。 3組は、切れのある動きで殺陣(たて)を披露。 華麗な太刀捌きにローカルの学生は大喜び。自分もやりたくて仕方がありません。 サムライ気分を満喫できたようでした。 紙芝居や日本の人気アニメの紹介や、 相撲などの日本国技や伝統芸のプレゼンテーション。 箸の使い方・マナー講座も行われました。 時間内にいくつお豆を移動できるかのゲームも行われ、カウントダウン終了間際は大盛り上がり! 焦って豆をお皿の外へ飛ばしてしまう姿も。 そして、日本の昔懐かしい遊びが満載です。 ハワイでも一時人気を博したエキサイティングなけん玉や、それとは対照的に落ち着いて丁寧に行う折り紙、 はたまた、縁日や祭り事、正月の遊びで見られる射的や福笑い、輪投げ、コマ回しにお手玉、羽子板、だるま落としまで。 プロのパフォーマー(大人)との交流・学びとは違い、年の近い彼らとの触れ合いは、 ローカルの学生にとって、より馴染み深いものとなったはずです。 -大人たちが伝える日本- とは言え、大人達だって負けてはおりません。 大人には大人の知識と経験、教え方というものがあります。 彼らだからこそ、深く伝えられるということが十分にあるのです。 -世界の文化- ハワイ以外の各国からの参加団体もいらっしゃいます。 今年なんとイタリアから初参加、 パフォーマンスで大注目のザ・フラグ・ウエーバズ・フロム・ファエンザです。 中世のユニフォームを着てファエンザの旗、5つのグループの色、白・黄色・黒・赤・緑を振り演技しました。 ファエンザの旗持ちとミュージシャンはイタリアで最も優秀で、古代の旗ゲームのイタリアチャンピオンとして30以上のタイトルを獲得しているのです。 空気を切る旗の音と、時折、宙高く放り投げられ、見事キャッチするそのパフォーマンスに、学生たちは目を輝かせていました。 こちらは、オーストラリアの”JARAN アボリジナル アンド トレス ストレイト アイランダー ダンスカンパニー“ 迫力の長い筒の楽器は、ディジュリドゥ(Didgeridoo, Didjeridu)と呼ばれます。 オーストラリア大陸の先住民アボリジニの金管楽器です。木製ですが、発音原理から木管ではなく金管楽器に分類されるのだとか。 オーストラリアからはもう一団体、ワガナ・アボリジニ・ダンサーズが参加し、 ダチョウの動きを模したコミカルなダンスで盛り上がりを見せ、 その他、昨年に続き、済州大学の海女さん講座や台湾ダンスでも交流を深めていました。   全体を通し、体験する学生達の楽しそうな笑顔がとても印象的でした。 学ぶのは、生徒達だけではありません。 文化交流とは、決して伝える側からの一方通行なものではないのです。 文化を伝えるパフォーマー・アーティスト、参加団体側も、子供達から教えられること・気づかされることがたくさんあるでしょう。 どのように感じ取るのか、どのように伝えれば楽しく分かり易く興味を持ちやすく出来るのか。こんな所に疑問を持つものなのかと。 純粋な心からの見方が盛りだくさんなのです。 これが、異文化・世代を超えた交流の醍醐味と言えるでしょう。 平和とは何か、世界平和のために何が出来るのか。 異文化交流を楽しく体感しながら、若者の心に世界への興味と平和への意識が生まれたことを期待しつつ、 彼らの成長を楽しみにしたいと思います。

DSC_1050 スペシャル

長年の貢献に敬意を表し…2016 オハナアワード

2016年(第22回)

ホノルル フェスティバルは、長年貢献いただいている参加団体へ敬意を表し、「オハナアワード」の表彰を行っています。いずれも、国境を越えた友好と文化交流を理念とする、ホノルル フェスティバルの真髄を披露してくださった皆様です。 2016年は、全32団体がオハナアワードを受賞!3月11日(金)にはハワイ・コンベンション・センターで表彰式が催され、ホノルル フェスティバル財団 治福 司理事長から「オハナアワード」が進呈されました。表彰式に出席された10団体の方々と理事長との記念撮影も行われました。 マハロ!ありがとうございました!

party53 パーティー

フレンドシップ・パーティー

2016年(第22回)

2016年3月11日(金)、ホノルル フェスティバル1日目の夜、ハワイ・コンベンション・センターでは、「フレンドシップ・パーティー」が行われました。 従来このパーティーは、ハワイ及びアジア太平洋地域の人々の友好と国際親善推進を目的としていますが、この日3月11日は、2011年に発生した東日本大震災から、ちょうど5年目を迎えた日となり、パーティーの各プログラム中へ復興支援の意も込めながら構成されていきました。 パーティー開催前には、会場外でお待ちになっていた多くのパーティー参加者をおもてなしする、 歓迎のライオンダンスパフォーマンスが行われていました。 16:40開場。期待を膨らませつつ待ち望んでいた参加者たちは、扉が開かれると同時に一気に会場内へ。 会場内で彼らをまず迎えたのは、ハワイが誇る名店の料理の数々。 今年のフレンドシップパーティーでは、8店舗のシェフが自慢の腕を振るいました。 ルースズクリス ステーキハウス(ビーフステーキ)をはじめ、トミーバハマ レストラン&バー(まぐろのタコス)、ザ ヌック ネイバーフッド ビストロ(チキンバーガー)、イート・ホノルル(チキンテリーヌ)、ノイタイ キュイジーヌ(シーフード揚げワンタン)、ブレッド+バター(カプレーゼ)、ブホ コシーナ&カンティーナ(プリン)、アーティゼン(ポークビーンズ)とバラエティに富んでいました。 その料理を思う存分に楽しむパーティー参加者の顔には、早くもたくさんの笑顔が生まれていました。 料理の感想を聞くと、「美味しいー!人気店のメニューが一気に食べれてラッキー!」と単純ながら一番本心の伝わる言葉が皆から返ってきました。 美味しい料理には、語らいが生まれます。これこそが交流の醍醐味、パーティーの最大の目的なのです。 食事を楽しむ最中、チアリーディングクラブチームTWISTERS(ツイスターズ)が歓迎のパフォーマンスをスタート! 大きな掛け声とダイナミックな動きで注目を集め、 人を持ち上げたり飛ばしたり、華やかでアクロバティックなチアリーディングは、会場を一気に盛り上げました。 その後、ホノルル フェスティバル財団、治福 司理事長より開会の挨拶、来賓の新潟県長岡市市長、ホノルル市のロイ・アメミヤ マネージング・ディレクターから祝辞を頂戴し、 また、今第22回ホノルル フェスティバルにおけるスペシャルイベント、ミュージカル「Peace on your wings」を演じるアカデミー”オハナ・アーツ”の子供達より、開会を祝い、天使のような歌声が披露されました。 子供たちの純粋で美しい声色に、聴き入る人々はウットリとしているようでした。 そして、これからがパーティーの本番。 ステージ上では、次々と素晴らしいパフォーマンスが繰り広げられました。 元気いっぱい、園田学園高等学校の登場です! 高校2年生約260名が、昨年から授業で練習してきたダンスを最終日のグランドパレードに先立ち、先発メンバーが披露。 飛んだり跳ねたり、反り返ったりと、俊敏で若さあふれるその動きは、会場のボルテージを一気にヒートアップ! ステージ下でも、仲間が共に踊り、会場を盛り上げました。 昨年に続き、ジャンルが違う3人のTOPダンサースペシャルユニット”アンビジュール”が、今年も妖艶な演技で観客を魅了。 続いて、ハワイの歌姫”ライアテア・ヘルム”の登場です。 ”ハワイの文化を守り、伝えていくのがハワイアンとしての自分の役割”と語る彼女。 今年は、東日本大震災被災地の復興を応援するために「IMAGINE」を演奏し、想いのしっかり入ったその歌声を彼方東北へ届けました。 そして、ライアテア・ヘルム同様、 “クパオア”が、復興応援テーマソングの「花は咲く」をフラと合わせ、ハワイ語バージョンで歌いました。 しっとりと優しく紡ぐその旋律と歌声で、穏やかな雰囲気を創りだしました。 打って変わって、大迫力の琉球太鼓がステージに。 ドンドン!と響き渡る太鼓の音、沖縄独特のリズム、繰り出される変幻自在の陣形と全身を大いに使った躍動感あるパフォーマンスで観客を再度盛り上げました! パーティーは、琉球太鼓のパフォーマンスと共にそのままクライマックへ。 盛り上がった会場からは参加者も次々とステージ上へ上がります。 皆、思い思いのスタイルで、自由に踊りました。 ステージの上も下も、皆、大はしゃぎ!恥ずかしがる人はいません。 そして、「ドンッ!」という大砲の音と共に、感動のフィナーレを迎えました。 ステージ上には煌びやかなテープが放たれました。 みんなの気持ちが一つになった瞬間でした。 今この瞬間、この会場は確かに平和に包まれていました。 同じ喜び・感覚・感動を共有することは、平和に繋がるでしょう。そこには仲間意識が生まれています。 フレンドシップパーティーは、ハワイ及びアジア太平洋地域の人々の友好と国際親善推進を目的としています。 今回、確かな平和を生み出したフレンドシップパーティーというこの小さな単位の交流が、 世界という大きな単位に成長した時、きっと人類共通の仲間意識が芽生え、世の中が平和に包まれることになるでしょう。

stage18 ステージ

ステージ・パフォーマンス

2016年(第22回)

3月12日(土)、13日(日)の2日間に渡り、各所で様々なステージ・パフォーマンスが繰り広げられました。 会場となったのは全4ヵ所。 ・ハワイコンベンションセンター:お祭り広場ステージ ・ハワイコンベンションセンター:ふれあいステージ ・アラモアナセンター:センターステージ ・ワイキキ・ビーチ・ウォーク:特設ステージ どの会場でも、日本、ハワイ、オーストラリア、台湾、イタリアなど、世界各地から仲間と共に励んできた練習の成果、そして由緒ある伝統芸能が惜しみなく披露され、多くの観客を沸かせました。 日本が誇る打楽器和太鼓。第15回ホノルル フェスティバル出演を機に結成された和太鼓グループ“和太鼓 豆桜”が、今年も様々なスタイルの打法を取り入れた創作和太鼓を披露しました。 威勢の良い掛け声と共に、「ドンっ!ドンっ!」と会場中に響き渡る大迫力の太鼓パフォーマンス。 その軽快なリズムとダイナミックな動きで観るものを夢中にさせていました。 ハワイだって負けてはいません。ウクレレの天才児達、4U(フォー・ユー)が登場! 15歳~18歳のメンバーで、ホノルルでの様々なコンテストでそれぞれがウクレレチャンピオンに輝いた4人組です。 その卓越したテクニックと生み出される音色は、まさに圧巻! この若さにして、あのジェイク・シマブクロ並みの音を聞かせてくれます。 ライアン・ナカガワ、ギブン・ヤギ、タイガ・ベニート、チャンス・ヤギと、この先大注目の4人組です。 さらに、イタリアからは、今回初登場、 ザ・フラグ・ウエーバズ・フロム・ファエンザです。 中世のユニフォームを着て、ファエンザの旗(5つのグループの色、白・黄色・黒・赤・緑)を振り演技しました。 ファエンザの旗持ちとミュージシャンはイタリアで最も優秀で、古代の旗ゲームのイタリアチャンピオンとして30以上のタイトルを獲得しています。 手足を自在に操り空気を切る旗の音と、時折、宙高く放り投げられ、見事キャッチするそのパフォーマンスに観客は大喜びでした。 なにも音楽や踊りだけがパフォーマンスではありません。 今回大注目を集めていたのが、こちらの”ベストボディ・インターナショナル in ホノルル”です。 “日本中・世界中が笑顔で満ち溢れ、そして心身共に健康的な生活を過ごすこと”。 この思いからコンテストが創立されました。 平和であるためには、健康でもある必要があります。 自らが創り上げた肉体美を力強くアピールしてくれました。 会場では地元ハワイからの参加者に熱いエールが贈られるシーンも。 その他、愛知県のD.D.M COMPANYや東京ビジュアルアーツのメンバーが、スピーディーかつダイナミックなジャズ・ストリートダンスなどの多様なダンスで、会場をヒートアップさせれば、 負けじと今度は、世界の民族舞踊が、独特の雰囲気で包み込みます。 ”JARAN アボリジナル アンド トレス ストレイト アイランダー ダンスカンパニー“のダンスは、オーストラリア先住民のカルチャーを護り伝えるダンスです。 ダンスでは、誕生や死など、人生の様々な局面を表わしていました。 また、日本古来からの伝統芸能である、あわ工芸座の人形浄瑠璃を不思議な面持ちで静かに眺め、はたまた、景気の良い南京玉すだれや琉球太鼓には、リズムに合わせて体が動いてしまっている観客の姿がとても微笑ましく印象的でした。 パフォーマンスを行う側と観る側、また国を違える者同士に、共感が生まれた瞬間です。平和への一歩ではないでしょうか。 会場には、美しい歌声も響きました。 しっとりとした色気のある大人の美声から、元気で可愛らしい無邪気な声など、それぞれの持ち味を如何なく発揮。 アラモアナセンターやビーチ・ウォークの会場でも、多くの通りすがる人々が足を止めてパフォーマーの演技に注目。 桜魁(さくらん)は和太鼓や三味線など和楽器のリズムに合わせ、日本舞踊や礼神伝(竜とのダンス)など、様々なジャンルのダンスを展開。トレードマークの桜の花びらが舞い踊りました。 こちらは、たからづかスポーツバトンクラブ。パフォーマンス後の満足そうな笑顔が、観る者の心を優しくしてくれます。 彼女達だけでなく、ホノルル フェスティバル参加団体の全てが、大変な努力の末、本番に臨んだことでしょう。 観るものへ感動を届けるための努力の過程にも、仲間間の交流が生まれ信頼を生み、その後、その交流はホノルル フェスティバルを通じ、異文化交流へと発展します。 そこにも、喜びと共感、信頼が生まれれば、またひとつ世界の平和に近づいていくことでしょう。 ホノルル フェスティバルは、そのような場をこれからも皆さんに提供し続け、平和へ続く道となることを願っています。

craft05 クラフトフェア

クラフトフェア

2016年(第22回)

3月12日(土)、3月13日(日)の2日間、ハワイコンベンションセンターではクラフトフェアが開催されました。 開場30分前の朝9時半にして、既にこの長蛇の列。 家族で楽しめるイベントとして、とても人気がある事が分かります。 並んで待っている方にお話を聞いてみたところ、「この異文化交流を楽しみに毎年訪れる」と答える方が多くいらっしゃいました。 確かに、ホノルルフェスティバルのイベントの中で、異文化交流が一番分かり易く形になったものが、このクラフトフェアかもしれません。 10時の開場と共に、待ちに待った来場者は、早速お目当てのクラフトブースへ向かいます。 早くも人気を博していたのが、長岡造形大学のワークショップ。 何とも日本情緒漂う、桜の葉の形をした箸置き作りです。 言葉は通じなくとも身振り手振りの丁寧な指導のもと、金槌で「トンカンっ、トンカンっ!」と懸命にモノづくりに励んでいました。 ようこそ京都(by imagine)&京都和菓子会のブース。京都の伝統文化も人気です。 職人の手による繊美な和菓子に興味深々! きっと本場京都の和菓子を見るのは初めて。皆、夢中に和菓子作りに取り組んでいました。 その他、サムライ、おみくじなど、日本においても特に「和」を感じさせるものがココには盛りだくさん。 魚沼十日町おにぎり隊のブース。日本が誇るお米”魚沼産コシヒカリ”で作られたおにぎりが頂けるとなれば、並ばずにはいられません。 ふっくらと炊きあがったコシヒカリに適度な塩気が嬉しいこのおにぎりは抜群の旨さ。 パンだって負けてません。 ハワイで好評の北海道仕様のパン屋さん「BRUG Bakery」にも次から次へと来場者が訪れ、午後一番には早くも完売! 笑顔の対応がとっても嬉しい。たくさんの会話、たくさんの交流が生まれていました。 こちらは、昨年のシンポジウム「ハワイにおける今後のエコツーリズムあり方」で一躍話題となった”Hawaiian Legacy Hardwood”。 ハワイ島の元カメハメハ大王の牧草地になった場所に、コアの木を植樹していくプロジェクトを行っています。 1978年~2012年にかけての世界産業指標(※Hawaiian Legacy Hardwood社調査)では、25日ごとにハワイ島の大きさ程の森林地が無くなっているのです。ご存じでしたか?しかもハワイ固有の木である「コアの木」は地球上の他の場所では育つことが無く、たった10%しか残っていません。 ホノルル フェスティバル財団も、地球の環境保護のため、このコアの木植樹プロジェクトに支援を行っていきます。 ハワイの活動と言えば、もう一つ忘れてはいけないのが、ハワイ州観光局公認の社会貢献プロジェクト「111-HAWAII PROJECT(ワン・ワン・ワン ハワイ プロジェクト)」。 様々な地元企業のメイド・イン・ハワイ商品を統一ブランドとして、商品開発・販売を行い、売り上げの一部をハワイのために役立てるものです。地元商品のブランド力を高めることで地域活性化を図り、お土産を買うだけで気軽にハワイに貢献できる観光客と共に、社会貢献とビジネスの両立を目指すのです。 ハワイにちなんだ可愛らしいキャラクターグッズも! たくさんのハワイ好きが訪れ、ブースは笑顔で溢れていました。 そして、次世代を担う若い世代の異文化交流への取り組みが、今回、桜丘中学・高等学校の特別展示ブース、またボランティアの皆が運営してくれた縁日。 彼らは、教育プログラムのエデュケーショナルツアーに引き続き、一般向けのクラフトフェアでも大活躍をしてくれました。 殺陣(たて)や紙芝居、そして、書道パフォーマンスなど、所作・視覚・言葉などの様々な手段を用い、触れ合う人々にメッセージを伝えました。 自分たちの目、若い意識・感性からの文化の共有。 彼らから伝えるだけでなく、また彼ら自身も異国の人々との交わりでから「気付き・発見」があり、多くの事を学んだはずです。 また、存在感、異彩を放っていたのが、“杉原千畝”展示ブース。 何かに引き寄せられるかのように、前を通りがかる人々がふと足を止めて、展示パネルやモニターに見入ります。 6,000人の命を救った男、杉原千畝。 あなたは、本当の彼を知っていますでしょうか? 戦後70年の時を経て、“真実の物語”が今、感動超大作として映画スクリーンに蘇っています。 興味・きっかけを与える、という部分で異文化交流の足掛かりとなる場を目の当たりにしたような気がします。 今回クラフトフェアでは、”ふれあい”のシーンが本当にたくさん見ることができました。 このシーンこそが、クラフトフェア、このイベントが一番求めているもの。 そして、その先にある平和に繋がることを願っているのです。 自分が幸せな時、人に優しく出来ますよね。 そして、人の優しさに触れたとき、自分も優しく、また幸せな気持ちになれます。 触れ合いによるこの幸せの伝播が、大きな平和にきっと繋がっていくでしょう。 このようふれあいの場が、もっと多くもっと大きく行えるようホノルル フェスティバルもまた成長していきます。

eiga09 映画

映画上映会

2016年(第22回)

3月12日(土)~3月13日(日)の2日間、ハワイ・コンベンション・センター3階にて在ホノルル日本国総領事館/ホノルル フェスティバル財団共催の映画上映会が行われました。 今年の上映作品は、全8作品。 ■3月12日(土) ・ラーメン侍 ・ラーメンより大切なもの~東池袋大勝軒50年の秘密 ・二郎は鮨の夢を見る ・武士の献立 ■3月13日(日) ・3泊4日5時の鐘 ・四十九日のレシピ ・言の葉の庭 ・真珠湾に咲く長岡花火 と前年以上にパワーアップしたスペシャルラインナップ。 この映画上映会は、入場無料で楽しめるため、国籍問わず大人から子供まで興味のある作品に多くの観覧者が集まりました。 映画上映会2日目には、茅ヶ崎を舞台に展開される映画「3泊4日5時の鐘」の上映を前に、茅ヶ崎市の服部信明市長を迎え、舞台挨拶がおこなれました。 この映画は、日本を代表する映画監督、小津安二郎氏が脚本執筆のためかつて定宿とした「茅ヶ崎館」、そして、茅ヶ崎の街を舞台に、今この時代に生きる若者がどんな感覚で生きているのか、その心情を男女7人の恋模様と共にユーモアたっぷりに描いた作品です。   「茅ヶ崎館」を舞台にしながら映画を作りたい、茅ヶ崎の街を広く色んな人にお伝えしたい、という新人の三澤監督の想いが作品に凝縮されています。   茅ヶ崎の街は、昔は農漁村の街で、住宅などもさほど無かった。でも街が持っている気質・雰囲気は今でも大事にされていて、他から来られる方々を温かく迎える、そういう部分がある意味、ホノルル・ハワイの皆さんと同じ気質だと思います。そこが昔から変わっていないところ。そういったところを描きたいという気持ちも監督にはあったと、服部市長は語ります。 一昨年、茅ヶ崎市はホノルル市と姉妹都市提携をしましたが、それがどうして茅ヶ崎なの?と疑問に思う方もいるはずです。 今までホノルルと姉妹都市になったところは、何か歴史的な事実があったり、そういったつながりがあるところがほとんどでした。けれども、茅ケ崎はそういうことではなくて、共通の文化・価値観があるということを、この映画を通して感じて頂ければと思います。 今のホノルル市長にもその部分に共感頂いて、姉妹提携をさせてもらいましたとおっしゃっていました。 確かに、銀幕に映し出される茅ヶ崎の風景・雰囲気・人情という部分から、ハワイと同じものを感じ取ることが出来ます。 服部市長と共に写真に写っているのは、茅ケ崎市キャラクターの”烏帽子麻呂(えぼしまろ)”。そして、烏帽子麻呂がかぶっている帽子は、チャイナマンズハットです。チャイナマンズハットとそっくりな岩が、茅ケ崎市にあります。それが烏帽子岩です。 そんな共通点がある所もまた、不思議な縁ですね。     また、その他の映画も常に満員御礼。   ハワイと日本の学生同士の交流をドキュメンタリータッチに描いた「真珠湾に咲く長岡花火」では、 交流の大切さについて、皆考え深げに眺めているようでした。   また、ハワイでも大人気、日本の文化とも言える”ラーメン”。 「ラーメンより大切なもの~東池袋大勝軒50年の秘密」では、日本の初期のラーメンブーム火付け役であり、今日までラーメン業界を牽引してきたと言っても過言ではない東池袋大勝軒大勝軒の店主が抱える想い・苦労、お客さんの喜ぶ姿、が描かれ、ハワイローカルは興味津々。     ハワイではあまり見かけることのないボリューム満点の大勝軒のラーメンに、感嘆の声が漏れる一面もありました。 観ることで、行かずして他国の文化を学び、また更なる興味を湧き立たせるも映画の醍醐味。 映画鑑賞自体がある意味、個の異文化交流であり、また、実際に体験する相互異文化交流へのきっかけとなります。 相手の文化を知り、共に認め合う。そこに平和へのヒントが隠されているはずです。 文化交流のビジョンに賛同し映画上映を実現してくださった在ホノルル日本国総領事館へ感謝致します。

musical18 スペシャル

Peace On Your Wings-ピース・オン・ユア・ウィングス-

2016年(第22回)

スペシャルミュージカルイベント”Peace On Your Wings” -ピース・オン・ユア・ウィングス-が、 ・3月12日(土)11:00-12:00、16:00-17:00 ・3月13日(日)11:00-12:00 計3回、ハワイコンベンションセンター3F #311で公演されました。 22回の「ホノルルフェスティバル」サブテーマとなる”文化交流、平和への道”で提唱される 『Peace-平和-』、そして“生きることの大切さ”を最も象徴的に表した22回の目玉となるイベントでした。 広島の平和記念公園にある「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子(ささき さだこ)。 被爆し白血病を発症、折り鶴に生きる希望を託しながら12才でこの世を去りました。 ピース・オン・ユア・ウィングス(直訳:平和はあなたの翼の上に)は、この禎子(さだこ)の人生を題材にしています。 原爆の悲惨さ、平和の尊さを叫びつづけた禎子(さだこ)の思いを引き継ぎ、 ハワイの子どもたちが演じる話題のミュージカルです。 第22回「ホノルルフェスティバル」でのスペシャル公演が実現し、本来のミュージカル各シーンよりセレクトした特別内容となりました。 -開演- 禎子(さだこ)の美しく元気な歌声でステージの幕は上がりました。 広島への原爆投下から9年後の1954年、当時12歳の禎子(さだこ)は、 友達と共に参加する平和記念式典や夜の灯籠流しに心躍らせる気持ちの優しい元気な女の子でした。 -駅伝- 禎子(さだこ)のクラスは駅伝大会に参加することになりました。 運動が大好きで活発な禎子(さだこ)は、一生懸命練習に取り組み、出場メンバーに選ばれました。 そして、クラスの中心的存在でもあった禎子(さだこ)は、駅伝メンバーに選ばれず落ち込んでいたクラスメイトを慰めたり、また皆の気持ちを一つに士気を高めます。 相手を思いやりリーダーシップもある禎子(さだこ)は、皆の人気者でもありました。 駅伝に見事勝利した禎子(さだこ)のクラスは、喜びを分かち合います。 しかし駅伝後、何故か身体の調子が著しく悪くなった禎子(さだこ)は、病院へ。 -病院- 白血病を発症した禎子(さだこ)は、そのまま入院。 それを知った兄の雅弘と共に、一時悲しみにくれます。 しかし、先に入院していた他の子供達は、病気にもめげず元気いっぱい。 楽しく自己紹介を繰り広げます。 彼らの影響で禎子(さだこ)もすぐ元気な気持ちを取り戻します。 早く治して、学校の皆と楽しい生活をおくりたい! しかし入院生活は続くのでした。 -お祭り- 少し体調が良くなった夏の夜。 禎子(さだこ)は浴衣に着替え、大好きな夏祭りに出掛けます。 「久しぶりにみんなに会える!」 兄の雅弘は心配です。決して無理はしないようにと禎子(さだこ)に忠告します。 理由もわからず、急に学校に来なくなってしまった禎子(さだこ)との久しぶりの再会を喜ぶ学校の仲間たちと、禎子は楽しい踊りの時間を過ごしたのでした。 しかし、お祭りの最中、禎子(さだこ)は倒れてしまいます。 -折り鶴- この時、クラスメートは、禎子(さだこ)が白血病に侵されていることを初めて知りショックを受けたのでした。 そして、交代で病院にお見舞いに通いました。 ある日、名古屋から色鮮やかな折り鶴がお見舞みまいとして病院に送られてきました。 その美しさに魅せられた禎子(さだこ)は、病気を治したいという想いと平和への願いを込めて自らも鶴を折るようになりました。 辛い闘病生活の中、12歳の少女はほとんど泣き言を言わなかったそうです。 生きる希望を胸に、強い気持ちを持っていたのでした。 禎子(さだこ)は、自分が折った鶴に糸を通し、病室の天井から吊るしました。 折り始めてわずか1ヶ月ほどで禎子(さだこ)の折り鶴は千羽に達したのでした。それ以降も禎子(さだこ)は鶴を折り続けます。 しかし、その後病状が回復することはなく、10月25日の朝、家族が見守る中、禎子(さだこ)は亡なくなりました。 そして、生きる希望と、平和の尊さを叫びつづけた禎子(さだこ)は、 広島の平和記念公園にある「原爆の子の像」となり、今も世界の平和を祈り続けているのです。 閉演 12歳という佐々木 禎子(ささき さだこ)の短い生涯を描いたPeace On Your Wings-ピース・オン・ユア・ウィングス-を一生懸命演じたハワイのアカデミー”オハナ・アーツ”のメンバーに、温かい拍手が贈られました。 彼らも7歳~16歳という禎子(さだこ)とさほど変わらない年頃です。 想いがシンクロする部分がきっとあるのでしょう。その気持ちが表現となって観る者にも伝わってきました。 ミュージカル観覧を終えたお客さんの顔には、皆一様に、柔らかく穏やかな笑顔と秘めた力強い眼差しが見て取れました。 それは、「平和の心」が宿ったかの様に見えます。 「小さな少女、禎子(さだこ)の前向きな姿に、改めて生きることの素晴らしさを考えさせられ、そして生きていくための勇気をもらったよ。」 と感想を述べていました。 事前取材で伺った”平和のメッセージ、人生は一期一会であること”というオハナ・アーツが届けたかった想いが、しっかりと伝わっているようでした。 2013年、禎子(さだこ)の折り鶴は、なんとパルハーバーのアリゾナ記念館に飾られるまでになりました。 そして現在、世界中の人たちは、佐々木禎子(ささき さだこ)の生涯、「原爆の子の像」を通して、 戦争が子供達をどんなに苦しめ、原爆が子供達にどんなに不幸をもたらすかも知るようになりました。 禎子(さだこ)の想いと共に、今生きている人々が喜び・希望を持ち続ければ、きっと平和な世の中が訪れるでしょう。 ホノルル フェスティバルの活動を通じて、少しでもその手助けとなることを祈りたいと思います。 PEACE ON YOUR WINGS 公演の情報 引き続きホノルルやLAでの公演が予定されています。 今回ご覧になれなかった方もミュージカル鑑賞を通じて 平和の尊さについて一緒に考えてみませんか? http://www.peaceonyourwings.com/tour/

parade69 パレード

グランドパレード

2016年(第22回)

ホノルル フェスティバル最終日の3月13日(日)夕方、ワイキキのメインストリート・カラカウア通りでは、グランド・パレードが行われました。 ワイキキ西側のサラトガロードからスタートし、東に位置するホノルル動物園まで約1.3キロの距離を、パフォーマンスをしながら通り抜けます。 フェスティバル期間中、各ステージや会場内ブースで表現してきたホノルル フェスティバル現参加団体の最後の見せ場です。もちろんカラカウア通りの沿道には、多くの観客が集まりました。 16時、カラカウア通り上4か所に設置されたMCスタンド前(A:スタート地点、B:ワイキキ・ショッピング・プラザ前、C:モアナ・サーフライダー・ウェスティンリゾート前、D:パシフィック・ビーチホテル前)ではオープニングパフォーマンスが行われました。 スタートとなるA地点では、広島の平和記念公園にある「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子の人生を題材としたミュージカル”Peace On Your Wings” -ピース・オン・ユア・ウィングス-を演じた、「オハナ・アーツ」の子供達がアメリカ国歌を斉唱。 微笑ましい姿に、辺りからは温かい視線が贈られていました。 その他、フラ、ダンス、ジャグリングなど、各地点でパフォーマンスが一斉に行われ、パレードを心待ちにする観客を早くも盛り上げました。 沿道からは、多くのシャッター音が響き渡ります。 今年は、JALフライトアテンダントの皆さんの素敵な笑顔でパレードがスタート! 軍旗衛兵、マーチングバンド、茅ヶ崎市の相州神輿などが続きます。 先程国家斉唱を行ったオハナ・アーツは、OLIOLI Walkerに乗ってパレードを進行。 そして、翌日の3/14(月)のホノルル フェスティバルアフターイベント「琉球の風in Hawaii」 に出演予定の歌手、夏川りみさんが登場! 満面の笑顔で沿道のファンの声援に応えていました。 その後、様々なミスコンテストで見事ミスに選ばれた女性たちが、オープンカーに腰かけながら沿道に手を振り、華やかに進んで行きました。 民族衣装に身を包んだフラをはじめ、バトン、ハンドベル、神輿に和太鼓、多種盛りだくさんの演目に、観客は飽きることがありません。温かい声援に、パフォーマー達も力が入ります。お互いが楽しもう、楽しませようという気持ちの一体感が、パレードをより想い出深い熱いモノにしているようでした。 ミンナ・一輪車クラブは、ローカルの女の子たちのよるもの。 時に大人と手をつなぎながらクルクルと回る可愛らしい動きがとても印象的でした。 民族衣装が一際目を引くBIBAK ハワイ。 コルディエラのイロゴット族の文化遺産の保存、振興活動を行っています。 中世のユニフォームを着て、ファエンザの旗(5つのグループの色、白・黄色・黒・赤・緑)を振り演技をする、ザ・フラグ・ウエーバズ・フロム・ファエンザです。 ファエンザの旗持ちとミュージシャンはイタリアで最も優秀で、古代の旗ゲームのイタリアチャンピオン30以上のタイトルを獲得しています。 空高く放り投げられた旗を見事キャッチするたびに、大きな拍手が沸き起こっていました。 スピーディーな動きとダイナミックかつアクロバティックなダブルダッチで観客を魅了する立命館大学 dig up treasure。 ベストボディー・インターナショナル in ホノルルは、鍛え抜かれた肉体美を見せつけました。 日本古来の伝統を活かしたパフォーマンスが続きました。 日本の伝統的な履物である「下駄」を履いてタップダンスを踊るのは、早稲田大学パフォーマンスサークル”下駄っぱーず”。溢れる情熱と輝く笑顔がきっと周りの観る者にも伝播したはず。 ワイキキの上空高く舞い上がる、大迫力の昇天竜が登場! 全長50Mもの巨大な竜は、さいたま竜神まつり会から。 勢いよく沿道左右の観客へ襲い掛かる竜神のパフォーマンスに、皆ヒートアップ!興奮と大歓声に包まれました。 日も暮れかかり、パレードも大詰め。 オープニングパフォーマンスで既に出演していた秋田市竿燈会が、暗闇に提灯を照らし、サプライズで再登場! 美しくそして柔らかく光を放つ巨大な竿燈を、額・肩・腰と難しい場所で見事バランスを取り、その卓越した技術を披露しました。 約4時間に及ぶ今回のグランドパレードを、トリで締めくくるのは、”弘前ねぷた”、そして、オオトリは、”ホノルル大蛇山”です。 陽の加減によって、印象が全く変わるのもこれらの大きな魅力。 モアナ・サーフライダーを背景に、暗がりにぼんやりと映し出される”ねぷた”は何とも言えない味があります。ハワイとの日本の美の融合を感じさせてくれました。 闇夜に火を吹きながら進む”ホノルル大蛇山”の迫力たるや凄いモノ! VIP席の目の前で最高のパフォーマンスを見せ、かつ、観客のボルテージを最高潮に引き上げたホノルル大蛇山は、力強くモアナ・サーフライダーの前を過ぎ去って行きました。 「祭りの後」という言葉がまさにふさわしい。 グランドパレードの終焉に少しもの悲しさを感じつつ、しかし、力を出し切ったパフォーマー、そして、存分に演技を堪能した観客のお互いの顔には、共に達成感の色が見て取れました。 来年は、どんな新しいパフォーマンスが飛び出すでしょうか。 今からもう次回が楽しみですね。 ホノルル フェスティバルのパレードがホノルル市より「レガシー」の称号を受けました 去る2015年10月22日、ホノルル フェスティバルのパレードがホノルル市より「レガシー」の称号を受けました。今までパレードはホノルル市の実施承認を毎年必要とされていましたが、今後は永続的に実施が保証されます。 2006年、一定の実績を持つパレードにのみ称号が与えられ、当フェスティバルは選外、加えて将来的な追加認定の条件設定はなされないまま、以降条例変更という難儀もあり、要請は叶わず本年に至りました。 その間に、当財団は市と姉妹都市関係にある長岡市との仲介役を務め、2015年8月の真珠湾イベント大成功の一翼を担い、また市長や副市長の日本訪問随行など、市と良好な関係を築いてきました。 2015年3月市長へ直接申請、ハワイ州官房長の助言のもと市議会議長への陳情、実務統括副市長への要請などにより状況が緩和され、条例改正に向け8月に議案が設定されました。 3段階の市議会プロセスを満点で通過、積年の大願が成就いたしました。 ホノルル フェスティバルの主旨へ深くご賛同、ご協力頂いたホノルル市へ感謝致します。

hanabi14 花火

長岡花火2016

2016年(第22回)

3月13日(日)ホノルル フェスティバル最終日の夜、今年もワイキキの夜空に盛大な華が咲き誇りました。 感動のフィナーレを飾ったのは、そう『長岡花火』でした。 「慰霊」「復興」「世界平和」という想いが込められたこの花火を、今年もたくさんの人が待ち焦がれていました。 花火が打ち上がるのは、ワイキキ沖の海の上。 ホノルル フェスティバル全参加団体の最後の雄姿となるグランド・パレードが終了すると、ワイキキ・ビーチに続々と人々が流れ込みました。迫力の花火を出来るだけ間近で楽しむべく、波打ち際ギリギリまで、ぎっしり人が詰め寄っていました。 強風が続いていた3月のワイキキでしたが、 まるでハワイそのものが「長岡花火」を待ち望んでいたかのように、この日は不思議と風がおさまったのでした。 日本軍から真珠湾攻撃を受けたハワイ州ホノルル市と、 終戦直前に空襲を受け、また最後までアメリカとの開戦に反対していたものの、 真珠湾攻撃を指揮することとなった連合艦隊司令長官 山本五十六氏の出身地である新潟県長岡市。 過去に受けた戦争の傷を絆に変え、ともに後世に平和を訴えていくため、両市は姉妹都市としての関係を 2012年3月の第18回ホノルル フェスティバルの機会に樹立し、その後、活発な交流を進めています。 その友好関係の象徴(シンボル)として実現したのが、ホノルル フェスティバルでの「長岡花火」というわけです。 20時半、夜空には、日米の戦没者の慰霊、そして”平和への祈り”を込めた3発の献花、白一色の花火が打ち上がりました。 この瞬間、ワイキキにいる誰もがこの3発の花火のみを見上げたことでしょう。 ホノルル フェスティバル最後のイベントの幕開けです。 今年は、ライブ花火専用音楽アプリケーション”Grucci”が大活躍。打ち上がる花火に合わせて音楽が流れます。 花火が人々に届ける感動を、さらに後押しするものとなりました。 暗闇には、次々と色鮮やかな花が咲き乱れました。 昨年、2015年は終戦70周年の節目の年でした。 2015年8月14日・15日には、パールハーバーにて行われた長岡市とホノルル市が共同で開催する慰霊と平和の式典、また併せて、未来志向の青少年の交流も踏まえて、フィナーレで長岡花火が打ち上げられたことは、まだ記憶に新しい。 ホノルルの人々の理解、並びに米国海軍の協力のもと、無事式典での花火を成功させることが出来た感謝も込めて、「America the Beautiful」の音楽に合わせて、スターマイン(速射連発花火)が夜空に響きました。 海風に乗ってかすかに漂う火薬の匂いもまた、このホノルル フェスティバル時期特有のハワイの風情を感じさせます。 その後は、『フェニックス』と共に平原綾香さんの曲「Jupiter」、大玉花火の打ち上げには「The Bridge of Friendship」が流れ、人々の感覚は、より一層目の前に開花する満開の花火に惹き込まれていくのでした。 グランド・フィナーレは、「天地人」のテーマに相応しく盛大に発射。 まさにクライマックス! 辺り一面が一斉に明るくなるほどのダイナミックな花火が上げられました。 花火を見上げる人々からは、大きな歓声が上がり、また感嘆の声が漏れたのでした。 今回、ホノルルフェスティバルで打ち上げられた長岡花火には、「世界平和」という想いが込められています。 そのメッセージは、感動と共に一人ひとりの心にきっと届いたことでしょう。 『平和である』、『平和になる』ということはどういうことなのか。 人々が強く思い描くことは、将来きっと形となって現れます。 楽しい体験を共にし、共有・共感をして、出来る限り同様な平和へのイメージが持つことが出来れば、その実現も早くなるかもしれません。 ホノルル フェスティバルを通して、皆さんにその体験を提供していけることを胸に、また来年も活動を進めて行きたいと思います。 最後に長岡市とホノルル市をはじめ、花火を上げるために理解と協力を惜しまず賛同してくださったスポンサーの皆様、そして通年とおして関わってくださった関係者全ての皆様へ感謝を申し上げます。