第25回 開催日は2019年 3月8日から10日です!

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日にち : 3月10日(金), 3月11日(土), 3月12日(日)
サブテーマ : Cultural Harmony, Journey to Peace
chiune03 シンポジウム

杉原千畝 -ユダヤ人を救った命のビザー 

2017年(第23回)

「文化交流、平和への道」。この第23回のサブテーマに沿って今年最も注力して作り上げたイベント、それが「杉原千畝 -ユダヤ人を救った命のビザ-」 です。 ホノルル フェスティバルには華やかで楽しい「お祭り」の要素の他に、その真骨頂として例年開催しているシンポジウムなどの文化的な価値創出があります。 ■2015年の第21回のシンポジウム「ハワイにおける今後のエコツーリズムのあり方」、 ■2016年第22回の「日系移民の歴史から平和を考える-プランテーションから真珠湾まで」 のシンポジウムは記憶に新しいところではないでしょうか。 2017年第23回は、形式をシンポジウムから変更し「杉原千畝」をめぐり、関係深いゲストをお招きしての第一部の基調講演会と、第二部の2015年製作の日本映画『杉原千畝 スギハラチウネ』映画上映の、二部構成とし、多くの方へ門戸を広げた参加型のイベントを企画・展開しました。 3月11日(土)3月12日(日)の計2回に渡るイベントはシアターが満員となり、立ち見が出るほどの観客動員となった。 第一部は4つのプログラムで進行しました。 1)ホノルルフェスティバル財団を代表して治福 司理事長のショート・スピーチ 2)現リトアニア大使の重枝大使からのビデオメッセージの上映 3)オアフ島在住ユダヤ人 Seymour Kazimirski氏のスピーチ 4)「命のビザ、遥かなる旅路ー杉原千畝を陰で支えた日本人たち」の著者・北出明氏の基調講演 左から ホノルル フェスティバル理事長 治福 司、Seymour Kazimirski氏、北出 明氏 続いて第二部は、2015年製作の日本映画『杉原千畝 スギハラチウネ』の上映です。 (C)2015「杉原千畝 スギハラチウネ」製作委員会   このイベントを治福理事長と共に企画し実務を担当したスタッフは、10カ月以上前から構想を練り、各方面への協力依頼やコーディネートに明け暮れました。(日本のテレビ局からの版権はJTBグループの契約を利用)紛争や民族問題といった世界情勢の現実を見るとき、ホノルル フェスティバルが「形」にして世に送り出したかった「大切にしたい平和へのメッセージ」。その想いをこの日イベントを通じて実現することができました。 【ホノルルフェスティバル財団代表・治福理事長のショート・スピーチ】 ホノルル フェスティバル財団を代表して治福理事長からは、まず杉原千畝のビザ発給と連携しウラジオストックから敦賀までの輸送を担当したJTBの前身であるジャパン・ツーリスト・ビューローの功績について紹介が行われました。 続いて前ホノルル総領事/現リトアニアの重枝大使のビデオメッセージの紹介、オアフ島在住のユダヤ人Seymour Kazimirski氏の紹介、日本からは「命のビザ、遥かなる旅路ー杉原千畝を陰で支えた日本人たち」の著者で、今回の基調講演を行う北出 明氏の紹介がなされました。 スピーチの結びでは、イベント協力者への謝辞が述べられると共に、観客の皆様に在リトアニアの杉原千畝ミュージアムに送る寄付金へのご協力を呼びかけられました。 【重枝リトアニア大使からのビデオメッセージ】 杉原千畝を語る上で欠かす事の出来ない国「リトアニア」。この日のために現リトアニア駐在日本国大使重枝氏(前ハワイ日本国総領事)よりサプライズビデオメッセージが届きました。 財団の星野 明夫事務局長は前ホノルル日本国総領事でいらした重枝リトアニア大使とのご縁を、このイベント企画に活かすべく、早くからビデオメッセージ作成を検討し着々と準備を進めてきました。JTBヨーロッパ・プラハ支店の杉田社員の多大なご協力により、重枝大使ご自身による杉原千畝ミュージアムを中心としたリトアニアの紹介がビデオメッセージを通じて行われました。 カウナスの杉原千畝記念館(旧日本国領事館)やビザを発給していたメトロポリスホテル、首都ヴィリニュスにある記念碑など、映像と共に「杉原千畝」の足跡が紹介されました。 【オアフ島在住ユダヤ人のSeymour Kazimirski氏のスピーチ】 Seymour氏のご両親はホロコーストからの生き残りであり、ナチスの手を逃れてカナダへ移民しました。64人いた家族全員がナチスの手により殺されご両親のお二人だけが唯一生き残ったといいます。ご両親の経験を後世に伝えると決意したSeymour氏はハワイでもホロコーストのレクチャーを100校以上の学校に行ってきました。 また2003年にはハワイ州のリンダ リングル州知事の元「杉原千畝の日」が制定されたエピソードを紹介し、そのイベントの際にハワイを訪れた杉原千畝の妻 幸子(ゆきこ)さん、息子の千暁(ちあき)さんとの忘れられない感動的な出会いなどが語られ、杉原の自らの危険を冒しても選び取った勇気ある「行為」に敬意を表しました。 史実の重みを持つSeymour氏のスピーチにより、歴史と千畝のとった行為がよりリアルなものとして認識されました、Seymour氏のイベントへのご協力に感謝いたします。 【『命のビザ、遥かなる旅路』著者 北出明氏による基調講演】 第一部のメインイベントである北出明(きたで あきら)氏の講演が同時通訳によりスタートしました。北出氏が2010年頃から取り組んでいるテーマは、「杉原千畝」当人ではなく、杉原千畝を影で支えたジャパン・ツーリスト・ビューロー職員の「大迫辰雄」。 また杉原千畝のビザ発給により避難して命が助かった「杉原サバイバー」の行方にスポットライトを当てて活動をしています。スライドを使った講演内容を、ご紹介していきましょう。 大迫辰雄氏は、当時のジャパン・ツーリスト・ビューローの職員(JTBの前身)であり、ヨーロッパから逃げてきた難民をウラジオストクから日本の敦賀まで船で輸送、その業務にあたった人物です。実は大迫氏が北出氏の勤務先で上司だったことがきっかけで北出氏の活動はスタートしたのです。 映画-杉原千畝-では、若手実力派俳優の浜田岳が演じています。左上が大迫氏本人の写真です。 時は1940年、舞台はニューヨークのロックフェラーセンタービル。ここからすべてが始りました。 ある日、ロックフェラーセンタービルにあるジャパン・ツーリスト・ビューローのオフィスに一本の電話が掛かってきました。 「もしもし、こちらは旅行会社ウォルターブラウンです。我々はアメリカのユダヤ人団体から今、第二次世界大戦のあおりを受けてヨーロッパから逃げ出してきているユダヤ人たちの逃避行を助けることを依頼されています。御社にはシベリアのウラジオストクから敦賀まで、船で彼らを輸送する業務を依頼したいのですが、受けて頂けますでしょうか?」 この電話を受けたのがヘーゼル・アリスンという女性でした。彼女とそのボスは、東京本社に電報で伺いを立てました。スライドの写真がその時の電報です。 東京本社では喧々諤々の議論が行われました。というのも、当時日本はドイツと同盟を結んでいました。 その同盟国ドイツのユダヤ人を排斥しようという政策に反する行為をしようというわけです。当然反対も多かったのです。 しかし、最終的には、ビューローは人道的見地からその業務を請け負ったとう結論に至ります。 スライドの右側の船は輸送に使われた2,346トンの天草丸です。大迫氏の回想によると1940年の終わり頃から41年の春先まで、日本海が一番荒れる時期に業務は行われました。 大迫氏の同僚との写真。中央には輸送業務中のユダヤ人の方との写真も見られます。 大迫氏:前列右から2人目。北出氏:後列3人の中央。 北出氏と大迫氏との出会いは国際観光振興機構(JNTO)でした。北出氏は1966年国際観光振興機構(JNTO)に入社。丁度同じ頃、大迫氏はJTBから国際観光振興機構(JNTO)に出向してきたのです。北出氏は約3年間の間、大迫氏の下で働く機会がありました。 職場を共にした際には、北出氏は大迫氏がこの勤務にあたっていたことを知りませんでした。しばらくして、この事実をを知らされ驚いた北出氏は、ある関連写真に出会います。大迫氏が海上輸送を担当してから、約60年の月日が流れた後でした。 関連写真の入ったアルバムの7人のユダヤ難民の写真。北出氏はこれに大変な感動を覚えました。そして、この方たちが今どこでどうしているかが気になり、頭から離れなくなったのです。 北出氏は、下段左から二人目の方に一番の印象を受けました。それは、この厳しい視線。まさにユダヤ人が受けていた苦難、これを象徴するような視線だったからです。 彼らは皆、写真の裏に自筆で名前やメッセージを残していました。 そこには、それぞれの出身地の言葉、ノルウェー語、ブルガリア語、ポーランド語、ドイツ語等で、 「我がよき友大迫に、我がよき思い出を」 「私を覚えていてください。」 「素敵な日本人へ。」 「親愛なる大迫さんへ。」 と大迫氏へ贈る言葉が書かれていました。 【杉原サバイバーのその後】 2010年9月、北出氏はユダヤ人達の消息を辿るため、遂にアメリカに渡りました。杉原千畝の出身地である岐阜県八百津町とユダヤ難民が上陸した福井県敦賀市の役所から9名の杉原サバイバーのコンタクト先を入手し、アメリカを訪れたのです。   ニューヨーク在住、スモローさん。右の写真、これが杉原ビザ。自分と両親の3人の命を救ってくれたこのビザを杉原氏出身の岐阜県八百津町に寄贈したことでも知られています。 ニューヨーク在住、銀行家のフィショフさん。天草丸で敦賀に来たが、ちゃんとした書類が無かったため、またウラジオストクに追い返されました。シベリアに送られることを覚悟したが、神戸にあるユダヤ人協会の支援で敦賀に入国出来たという経緯を持っています。 ヨーロッパを出た時、家族は全員強制収容所に送られ命を落としました。アメリカに渡った時は天蓋孤独の身。しかし、懸命に働き、妻子にも恵まれ、今では息子5人、孫28人、曾孫は数えてられないという大家族に。 アメリカから帰国後、北出氏は多くの講演の機会に恵まれていきます。その甲斐もあり、2014年4月、大迫氏のアルバム写真で気になっていた7人のうち5人の身元が判明しました。 大迫氏のアルバムの、悲しいまなざしの写真の女性、ソニア・リードさん。アメリカに渡り結婚し、幸せな生涯を送ったようです。 写真唯一の男性は、バックギャモンというゲームの世界的名手となっていました。バハマ諸島の第1回国際バックギャモン大会で準優勝。その後の足取りは不明です。 アメリカ取材にて判明した、これら知られざる人々の消息は、『命のビザ、遥かなる旅路』として出版されています。 この日の講演のためにフェスティバル財団との段取りを幾重にも重ね、ご自身の著作を通じて情熱的に講演に取り組んでいただいた北出氏に感謝を申し上げます。 北出氏の著書『命のビザ、遥かなる旅路』(交通新聞社) 【 映画「杉原千畝 スギハラチウネ」上映会】 北出氏の講演会終了後、続いて映画上映会が行われました。 第2次世界大戦中ナチスによる迫害から逃れるユダヤ人のために日本経由の「命のビザ」を約6,000人のユダヤ難民に発給し救った外交官、「日本のシンドラー」とも言われる杉原千畝の感動の生涯を描いた作品「杉原千畝 スギハラチウネ」。 当時彼の勇敢な行動は、日本政府の指示に背く形であり、リスクが非常に高いものでした。 杉原氏によってビザを入手したユダヤ難民たちは、ヨーロッパから日本経由でアメリカへ向かう必要がありました。そして、ユダヤ難民輸送に当たり「天草丸」という船を手配し斡旋したのがJTBグループの前身ジャパン・ツーリスト・ビューローでした。 ユダヤ難民とジャパン・ツーリスト・ビューロ職員を乗せた天草丸は、ウラジオストクから敦賀、そして神戸と横浜を経由して無事にアメリカへと到着しました。 それは、まさに「命のリレー」の物語です。 会場外には、JTBの協力により可能となった命のビザに関する展示パネルも設置。2時間にわたる映画終了後はそのパネル前に行列ができるほどで、観終わった方々からは「良かった」「感動した」などの嬉しいフィードバックをいただくことができました。 財団の寄付担当者も、リトアニアにある「杉原千畝記念館」へ寄付を行うため、スタッフとボランティアを組織して、募金を募りました。講演会や映画を観て感銘を受けた方々からの募金は1,000ドル近く集まり、ホノルルフェスティバル財団からもこの募金に追加し、総額2,000ドルをリトアニアにある杉原千畝ミュージアムに寄付することが決定しました。 「杉原千畝」「大迫辰雄」から受け継いだ命のリレーのバトンは、時を越えこのイベントを通じてハワイに住む人々に手渡されました。イベントを通じ、平和について「考え」そして「行動する」きっかけを創造できたと信じています。

DSC_1050 スペシャル

オハナアワード 2017

2017年(第23回)

ホノルル フェスティバルは、ご参加いただいている団体の長年の貢献に敬意を表し「オハナアワード」の表彰を行っています。第23回ホノルル フェスティバルでは40団体以上の団体がオハナアワードを受賞しました。 3月10日(金)にはハワイ・コンベンション・センターで表彰式が催され、ホノルル フェスティバル財団 治福 司理事長から感謝のメッセージと共に「オハナアワード」受賞を称えるトロフィーが進呈されました。表彰式に出席された12団体の代表者の方々をご紹介いたします。 ハワイ州の桜まつり女王によるトロフィー授与のアシストもアワードを盛り上げました。 受賞された皆様おめでとうございます、来年もまたお会いできる事を楽しみにしています。

school27 教育プログラム

エデュケーショナル・スクール・ツアー2017

2017年(第23回)

第23回ホノルル フェスティバル初日の2017年3月10日(金)「エデュケーショナル・スクール・ツアー」がハワイ・コンベンション・センターで行われました。 ホノルル フェスティバル財団は「お祭り」としてのフェスティバル開催だけでなく、「交流文化」、「教育」、「環境」の3つのテーマを軸に活動を行っています。その「教育」のテーマから、エジュケーショナル・スクール・ツアーを実施し、ハワイの小学校から高校までの学生を招待して多様な文化を学習できる場を提供しています。 朝8:30。オアフ島内の各地域からスクールバスやチャーターバスに乗った学生達がハワイ・コンベンション・センターに続々と集まってきます。 今年は、14スクール、計1,000名を超える学生が参加し、世界各国から集まった11のパフォーマンス団体から異文化を学び、体験し、交流を深めました。 会場入り口には、今年もホノルル フェスティバル・アートコンテスト作品が並び、学生達を迎え入れていました。昨年6月を皮切りに小学校から一般まで幅広く行われたコンテストは、サブテーマ「文化交流、平和への道」を盛り込んだアート30作品が集まり、この日晴れて展示されました。 会場に到着した学生は少数のグループに分かれ、ボランティアの方々から成るガイドのアテンドのもと各ブースを順々に回っていく事ができるようになっています。ボランティアガイドの方々のご協力があることも、イベント推進の重要な原動力となっています。 -音楽とダンス-     言葉は違えど、音楽と踊りから得られる楽しさは万国共通。それぞれ異なる文化から多くの刺激を受けたようでした。  -展示- ホノルル フェスティバルのグランド・パレードでは欠かせない存在となっているホノルル大蛇山の展示ブースでは、間近で大蛇山の頭部を見れる絶好のチャンス。大蛇山とホノルル フェスティバルの長年のリレーションシップによりこれらの展示が毎年可能になっています。 また、今年23回開催となる歴史あるホノルル フェスティバルの記録を展示したパネルを設置。ホノルル フェスティバル財団の理事らが自らストーリーテラーとなって、深みのある歴史を語ってくれます。                         -ふれあい- 実際に見て、触れて交流する、その醍醐味を学生達は存分に楽しめたのではないでしょうか。いろいろなシーンを一挙に写真でご紹介しましょう。     好奇心が勝り、異国の人々に物怖じしない笑顔いっぱいの学生たちの姿が印象的でした。 -学生同士の交流- 昨年のエデュケーショナル・スクール・ツアーで大好評を喫した桜丘中学・高等学校が、今年も大活躍。 気合の入った掛け声とスピーディーで力強さを感じる少林寺拳法。迫力のパフォーマンスに、大歓声と拍手が巻き起こっていました。 人気を博していたのが、「だるまさんがころんだ」と「殺陣」。やはり体を使って行う遊びは、ローカルの学生も大好きのようですね。たくさんの笑顔がこぼれます。         その他、「けん玉」「コマ回し」「劇」「折り紙」「紙芝居」「おはじき」「日本クイズ」「紙風船」「習字」などなど。慣れない英語を使いながら、様々な日本伝統文化を一生懸命紹介しました。     ホノルル フェスティバルは、このエジュケーショナル・スクールツアーを通じて生み出される「異文化コミュニケーションが繋ぐ新たな出会い」、「発想の広がり」に期待しています。子供達がこれから創る未来の平和な世界に貢献すべく、ホノルル フェスティバルは、これからも一層、教育プログラムに力を注いで参ります。

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グランド・パレード2017

2017年(第23回)

グランド・パレードは、例年、ワイキキ西のサラトガロードから東に位置するホノルル動物園まで、メインストリートであるカラカウア通りを歩みながら、約1.3キロに渡り賑やかなパフォーマンスが繰り広げられます。 そして、その沿道には、3日間に渡り自らの持てる技術を披露し独自の文化を伝えると共に、観る人に喜びと感動を与え、新たな気づき、交流を生み出してきたフェスティバル参加パフォーマーの最後の雄姿を一目見ようと、人種を問わずたくさんの観客が詰め寄るのです。 第23回ホノルル フェスティバル最終日となる3月12日(日)夕方、ハワイらしい暖かい陽気の中、今年もグランド・パレードが行われました。 ホノルル市より「レガシー」の称号を受けたホノルル フェスティバルのグランド・パレード 当財団は、長年に渡りホノルル市と姉妹都市関係にある長岡市との仲介役を務め、2015年8月には真珠湾イベント大成功の一翼を担い、また市長や副市長の日本訪問随行など、市と良好な関係を築いてきました。 そして、2015年10月22日、ホノルル フェスティバルのパレードがホノルル市より「レガシー」の称号を受けました。かつてパレードはホノルル市の実施承認を毎年必要とされていましたが、今後は永続的に実施が保証されたのです。 ホノルル フェスティバルの主旨へ深くご賛同、ご協力頂いたホノルル市へ感謝致します。 【オープニング・パフォーマンス】 カラカウア通り4ヵ所に設置されたMCスタンド前では、まずオープニングパフォーマンスが披露されました。 ※写真は全て拡大してご覧いただけます。 【グランド・パレード】 16時30分、遂にグランド・パレードがスタートしました。 長岡市も今年でホノルル市との姉妹提携5周年を迎えました。 ドンッドンッと太鼓の音が賑やかに鳴り響きます。 【グランド・パレード中盤】 子供たちも堂々と行進! 【グランド・パレード 終盤】 パレードもいよいよ終盤、辺りも少しずつ暗くなってきました。 陽も暮れ、会場が闇に包まれると、秋田市竿燈会が再度登場。 メッセージは、皆にしっかりと伝わりました。 そして遂に、頭上から高らかに火を放つ大迫力のホノルル大蛇山が登場! 毎年、オオトリを飾ります。 荒々しい形相の頭部を左右に揺らし、沿道の観客を睨みつけていました。 最後のホノルル大蛇山が過ぎ去った後も興奮冷めやらぬ雰囲気がカラカウア通りには漂っていました。 笑顔と共に全力で表現するパフォーマー達、その姿に元気をもらい大きな声で声援を送る観客。 この幸せな思い出を残すグランド・パレードは、世界から集まるパフォーマー・観客・関係者、そしてハワイが手を繋ぎ、皆で創り上げたパレードなのです。 今年で第23回を迎えるホノルル フェスティバルのサブテーマは、「文化交流、平和への道」。 グランド・パレードの道は、「平和への道」に続いています。 来年も再来年も、そしてその先もずっと絶やすことなく、ホノルル フェスティバルは、このグランド・パレードという「文化交流」の場を担い「平和への道」を創り続けて参ります。

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長岡花火 2017

2017年(第23回)

2017年3月12日、第23回ホノルル フェスティバルのフィナーレは、毎年観る人にたくさんの感動を与えている長岡花火。今年で6回目の打ち上げを迎えました。 グランド・パレードが終了した直後のカラカウア通りは、花火開始1時間前にも関わらず、早くも観覧に向かう人々で溢れかえり、ビーチは既に花火を今か今かと待ち構える人々が大勢押し寄せていました。 時刻は20時30分。 ワイキキビーチの海上にスーっと一本の光の道が出来たかと思うと、夜空に大きな白い華が咲きました。 “平和への祈り”を込めた白一色の花火です。 3発の白一色の花火を皮切りに、ホノルル フェスティバル長岡花火がスタートしました。 ラジオステーション105 KINEから流れるバックグランドミュージックが花火をいっそうドラマティックに盛り立てます。ハワイ州の州歌「ハワイ・ポノイ」に合わせて、テンポ良く打ち上がる花火。 新潟県中越地震から約10年の刻を経て長岡の復興のシンボル『フェニックス』が、平原綾香さんの曲「ジュピター」に乗せて打ちあがりました。 大きな花火が上がるとビーチのあちらこちらから「ワー!キャー!」と歓声と拍手が沸き起こっていました。 色鮮やかな花火と共に流れる曲は、ホノルル フェスティバル テーマソング 平井大「〜ONE LOVE Pacific Harmony~」。ワイキキビーチ全体が、柔らかい雰囲気に包まれました。 そして、いよいよクライマックス。 長岡が舞台の大河ドラマ「天地人」の壮大なテーマ曲で辺りは興奮の渦に。 『しだれ柳』の乱れ打ちで、ボルテージは最高潮に! 約15分もの間、ワイキキの空は「慰霊」「復興」「世界平和」の祈りを込めた長岡花火で彩られ、花火終了後は笑顔と、口々に交わされる興奮と感動の語らいがビーチを埋め尽くす人々から溢れていました。 今年で第23回目と毎年の積み重ねを続けてきたホノルル フェスティバル。 手探り状態のスタートに始まり、今やハワイ州やアメリカだけでなく、全世界からの参加者が開催を楽しみにしてくれるまでの大きな交流イベントになりました。 「パシフィック・ハーモニー」“愛と信頼” をテーマに、これからも民族や世代を越えた交流の輪を広げ、日本とハワイ、ひいては環太平洋諸国、全世界的な親善の輪をより大きく幾重にも作るイベントへと成長していきたいと願っています。 長岡市とホノルル市をはじめ、花火を打ち上げるために惜しみないご支援とご協力を賜りましたスポンサーの皆様、そして長期間に渡りご尽力くださいました関係者全ての皆様へ感謝を申し上げます。

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フレンドシップ・パーティー2017

2017年(第23回)

2017年3月10日(金)、第23回ホノルル フェスティバルの初日となるこの日、ハワイ・コンベンション・センターにてフレンドシップ・パーティーが開催されました。 フレンドシップ・パーティーは、ハワイ及びアジア太平洋地域の人々の友好と国際親善推進を目的とし、ご参会いただく方には、芸能文化の鑑賞、食を通じて、様々な文化に触れ、交流や親善を深めていただいています。 -開場- 6:40pm、開場です。入り口では、ボランティアの一団が立ち並び、笑顔で参加者を迎え入れました。                         -挨拶-             ホノルル フェスティバル財団 治福 司理事長をはじめ、来賓の方々から祝辞を頂戴いたしました。 また、ホノルル市-長岡市姉妹提携5周年を讃えると共に、フレンドシップ・パーティーがスタートしました。 -会場内(料理・語らいのひと時)- コンベンションセンターの会場では1000人を超える参加者で賑わいをみせました。 ステージ観覧席を取り囲むように配置されたハワイの人気・有名レストラン8店のブースでは、趣向を凝らしたメニューが提供されました。ハワイでも名の知れたレストランだけに、どのブースも大人気。 手の込んだ逸品に皆さん大満足。美味しい料理が、盛り上がる会話をさらに後押しします。    -ステージ・パフォーマンス- 美味しい料理と楽しい会話で賑わう中、ステージ上ではパフォーマンスがスタート! ハイテンションのミュージックと共に、園田学園高等学校が勢いよく登場です。 総勢250名の生徒達が1年間かけて懸命に練習してきたダンスを、最終日のグランド・パレードに先立ち選抜メンバーが披露。 ステージ下では、共に練習してきた仲間とVIP席の方々が見守っています。 弾ける笑顔が、こちらも笑顔にしてくれます。 スピーディーに、そして元気いっぱいに踊り、会場を盛り上げてくれました。 続いて、登場したのは、アンビジュールの3人。 日本の栄えあるダンスコンペティション”レジェンド東京”にて審査員特別賞を受賞した経歴を持ちます。 指先までしなやかな動きで、大人の魅力たっぷりに演じてくれました。 1月11日から始まった投票形式によるハワイ初のランキングアワード111-HAWAII AWARDも、このステージ上で、ランキングの中間発表を行いました。 ハワイのグルメ、お土産、ツアーなど、50カテゴリーから、全てのハワイファンによるオンライン投票で、それぞれのランキングを決定するハワイ州観光局公認プログラムです。抽選でプレゼントもあるアワードの投票期間は7月10日まで! フィリピン カルチャーダンサーズが独特のリズムで伝統舞踊を披露。 ルソン島のPandanggo sa llaw、ビサヤ島からKuratsa、ミンダナオ島からSingkilと3つの島を代表する舞踊です。それぞれの地域の色彩豊かな日常を演出し、会場は不思議な雰囲気に包まれました。 また、今年はホノルル フェスティバル史上初となるチャリティーオークションが開催されました。 フェスティバルへご協賛頂いている皆様のご協力により、魅力的な出品物が出品され、オークション初体験の方も多いであろう会場内からは、慣れないながらも勇気を出して参加する方々がおられたのが印象的でした。 パフォーマンスもいよいよ終盤。ハワイの大物ミュージシャン達が登場しました。 ハワイのグラミー賞と言われる「ナ・ホク・ハノハノ・アワード」女性ボーカリスト賞受賞経験のあるMailaniが柔らかい歌声で、ハワイアンを歌い上げます。 またハワイアンミュージシャンの間で彼らの才能を知らない人はいない言われているNa Hoaが伝統的なハワイアンミュージックで後押し。彼らも「ナ・ホク・ハノハノ・アワード」で4つも受賞をしています。 MilaniとNa Hoaがコラボで紡ぎ出すハーモニーに合わせ優雅なフラのプレゼンテーションも加わり、観客一同は魅了された様子でした。 ステージパフォーマンスの締めくくりは鳥羽屋 里夕と杵屋 巳織のお二人が日本の伝統、三味線を卓越した技術で奏でました。 そして遂にフィナーレ。琉球古典安冨祖流音楽研究 ハワイ朝一会がリズミカルに太鼓を響かせれば、 会場からは、多くの方が一目散にステージ上へ駆けあがりました。 性別も年代も関係なく、カチャーシー(沖縄の手踊り)で皆一体に! 最後は、「ドンッ!」と鳴り響く大きな音と共に、煌びやかなテープが宙を舞い、感動のフィナーレ。 例年以上に多くのプログラムが盛り込まれていた今年のフレンドシップ・パーティー。参加チケット代金の一部は、ホノルル フェスティバル開催・運営資金として使用されます。その中でも地域教育への参画として、毎年ハワイの高校から一校を選抜し、生徒を日本研修に送る教育機会を設定・提供しています。 今後20年でホノルル フェスティバルがテーマとして取り組む「交流文化」「教育」「環境」の3本柱を更なる高みへ押し上げ展開していくためにも、皆様の変わらぬご支援をお願い致します。 ≪オンラインによる寄付≫ご支援のお願い あなたの支援が、ホノルル フェスティバルを支える大きな力になります。